○金山山頂の新田神社境内の南にある。枝を大きく横に張り出した特徴ある姿は、同神社のシンボルとして親しまれいる。
○中世戦国時代の山城として難攻不落を誇った金山城跡は、国内最大級の山城として評価が高く、東国に珍しく石垣豊富に用いた複合城郭で、戦前(昭和9年1934)に国史跡に指定されている。
○金山城は、新田義宗の孫、岩松家純が文明元年(1469)に築城』その後城主となった由良氏と戦国武将の武田氏や上氏、後北条氏の間で合戦の舞台となり、天正18年(1590)、後北条氏が豊臣勢に滅ぼされたのを契機に廃城となった。
新田神社は、新田義貞を祀るため、明治8年(1875)金山山頂に造営されたもの。
○「新田神社のケヤキ」とも呼ばれ、数百年の風雪に耐え、金山城の興亡を眺めてきた歴史の証人ともいえる貴重な存在である。
太田市街地から子育て呑竜様の前を通る「市道金山城跡線」を登り、峠直前を左折し屈曲の多い細い道をのぼり、終点駐車場に止め、700mほど散策路を歩くと金山城跡の石垣が現れる。その尾根沿いの新田神社の参道にでて、階段手前に大きく枝を広げている。駐車場までの道は狭くつづら折りの道を登る。対向車や歩行者、自転車、ランナーに注意。