上野国総社神社は、人皇第十代崇神天皇の御代48年(紀元前50年)3月、皇子豊城入彦命が東国平定のため上野國にお下りになられたとき、神代の時代に国土の平定に貢献された経津主命の御武勇を敬慕され、武運長久を願い軍神として奉祀したのが始まりとされている。その後、親神である磐筒男命・磐筒女命も合祀された。
永禄9年(1566年)10月、北条・武田両軍の戦禍により、社殿を始め摂社・末社・宝物等悉く灰儘に帰した。その数年後元亀2年(1571年)に北西約400mの宮之辺から現在地へ再建された。 (神社由緒より)
本殿は1571年頃の建立で、桃山時代の特徴を有していることから群馬県重要文化財である。