指定時には(目通り9.5m、根元周り13m、樹高21.2m、枝張り東西31.8m南北33m)県下でも屈指のケヤキの巨木であった(現地解説版より)
川田神社は一説に「上野国神名帳」に見える利根郡二十一社の一、正五位 小用(こもちい)明神という。古くは字宮平にあったが、川田城の守りを固めるため現在地に遷座したと言われている。
御神木の大ケヤキはその頃に植えられたか、あるいは自然木を社木にしたのではないかと想像されている。
天正13年(1585)、北条勢の沼田攻めで川田城主山名義季の子主水は討死し、その折りこの社の社殿も焼失した。現在の社殿は享保4年(1719)の再建である。
(平凡社「群馬県の地名」より)
台風で枝が折れ、危険な枝も切ったため樹高も低く、姿もあまりよくないが、樹幹には傷もなく樹肌の美しい紋様と色調には大木の貫禄が備わっている。
石垣で少し高くなった境内の石の鳥居のそばにしっかりと根を下ろしている。
国道17号線沼田市街より中之条方面へ、「下川田町」交差点から国道145号線に入り、「下川田町」の信号を右折、300m先、左側に石の鳥居が見える。