小泉神社境内のほぼ中央に老い茂る、この御神木の大欅は樹齢約三百年あまり、目通り5米80糎、西邑楽地方に稀な大樹であります。延徳元年(1489年)小泉城主富岡主税介直光は、古河公方成氏に従って軍功があり、戦勝記念に吾妻の山岳から悸楓数百本を持って来て城外城内に移植させ広大な庭園を築いた、村人等はこの庭園を殿林と呼んでいました。先年伐採された榎町の庚申榎といわれた欅もその一本であった、当時この小泉城三ノ丸内の地相宅相よき高台にも数本の杉が植えられたが、御用材として伐採したため、元禄年間そのあとつぎに植えられた欅がこの御神木です。
この大欅は長い年月鎮守の森として上下小泉の興亡と氏子中を朝な夕なに見守ってきた御神木です、今般小泉神社総代会においてこの御神木を後世に保存するため浄財を拠出して玉垣を建設した。(宮司 井上加納記) 昭和六十三年九月
(現地御神木由緒記を転記:西暦は追加記載)
小泉神社の創建は元慶7年(883)村の鎮めと安全を祈り築比地宮原の地に藤原長良公をおまつりし長良明神と呼ばれた。
慶長16年現在の地に遷座した。本殿は嘉永元年から安政元年にかけての造営で彫刻が素晴らしく(登竜門の鯉)東群馬にまれな傑作である。
明治5年上小泉村の村社となった。明治45年下小泉の村社菅原神社をはじめ町内中の神社を合併し総社小泉神社となった。
(現地解説板より抜粋)
幹の中は空洞があるというが、樹勢は旺盛で10年前に詰めた幹から枝が茂っている。
「ぐんまの巨樹巨木ガイド」には200年生のケヤキも紹介されているが、数年前、本殿への倒木の恐れから伐倒されたという。切り株の年輪を数えると記載どおり200年近くまで確認できた。
東毛広域幹線道と県道38号線足利千代田線の交差点を1.3kmほど南下、城之内公園市口の看板のある交差点を右折、200mほどで小泉神社の裏を通り過ぎ左折、更に突き当たりで左折、境内地の周りを半周して南側から入る。 周囲は一方通行が多く道が細いので注意が必要。