「この大杉は宮崎神社境内に位置し、高は約二十五メートル、目通りで七・六メートルの太さを計ることができる。枝張りは西十二メートル、南北十五メートルで、先端は二十メートル付近で六・七本の太い枝に分かれて樹冠を形成している。樹齢は約八百年と推定され、口伝によれば貫前神社の藤太杉と同年代ともいわれている。
この地にはもともと広鉾神社が建立されていたのであるが、明治末年に三社が合祀され宮崎神社と改名されたいわれをもっている。
したがって、広鉾神社の盛衰と共に歩み続けた大杉であり、現在、樹勢も旺盛で他に類をみない大木であるので貴重な天然記念物であるということができる。
昭和五十九年三月 富岡市教育委員会」現地看板記載
宮崎神社
御祭神 大国主命
建御名方命 八坂刀売命 菊理姫命
由緒沿革
由緒不詳
明治42年7月7日、許可を得て大字宮崎字仲町の諏訪神社、同町下村の白山神社を合祀して旧社名広鉾神社を宮崎神社と改称せり。
「富岡甘楽平成神社明細誌」平成5年9月11日発行より
上野国一の宮貫前神社参道の小高い位置に旧姫街道(下仁田道)が走っている。神社から下仁田方面に向かい宮崎宿の手前の北側の宮崎神社境内に位置する。