○宝積寺の境内には、弘安3年(1280年)の板碑が建立され、この時代にはすでに天台宗の寺として、広い寺領を持ち栄えていたが、宝徳2年(1450年)に、領主の小幡実高候が中興開基となり、曹洞宗として再興された。
元和2年(1616年)に織田信長の孫・織田信良候が小幡藩の藩主となり、菩提寺と定め庇護し、曹洞宗の修行寺として近年まで栄え多くの修行僧が集まった。
○ 宝積寺のしだれ桜は、平成13年(2001)甘楽町名木十選の第4位に選ばれ、樹齢3百年の大イチョウと並んで宝積寺の顔となっている。(大イチョウは現在大きく切り詰められている)
○同年には関東一円に宗派の垣根を超え、花木をメインに据えた「東国花の寺百ヶ寺群馬第4番札所」にも認定された。
それらがきっかけとなり、春の桜開花時には数万人の見物客が訪れる。
○宝積寺のしだれ桜は、樹高13.5m、バランスよく四方に大きく枝を広げている。
エドヒガンザクラの変種で濃いピンク色、小さな花弁と花の数が多いのが特徴で、満開時の眺めは圧巻である。 言い伝えでは、宝積寺41世大順孝道が、幕末の慶応4年(1868)頃、人々の平和と社会の繁栄を祈願し植樹されたといわれている。また大順は、大寺院の住職に就任したことから、「出世桜」ともいわれています。平成28年「ぐんま花の駅」に甘楽富岡地域では唯一認定されている。
甘楽町は二日(2001年6月2日)までに、次代に残したい町内の「かんら名木十選」を選定した。今年一月から二月にかけて公募し、推薦された五十二件から、すでに県や町の天然記念物に指定されている七件を除き、町ふるさと景観審議会(松井万作会長、九人)が選定した。町は十件の近くに樹齢、由来などを記した解説板を設置したほか、カラー写真をふんだんに使ったパンフレットを作り、町内の公共施設などで配布している。 名木の選定は県の「活力ある地域づくりモデル事業」による補助を受け、藤岡市の樹木医、関口義明さんらの協力を得て行われた。(甘楽町デジタルアーカイブより)
富岡インターチェンジ出口を右折、県道46号線との交差点「内匠(たくみ)」の信号を右折し、甘楽町方向に進み、「小幡」の信号で右折、城下町小幡を通過し、秋畑方面に約3kmで左に宝積寺の看板がある。 駐車場はそこから約500m坂を上った右手にある。