ここは元ぶどう園で初代園主が慶応初年に国禁を犯してアメリカに密航し、労働者として住み込み、果樹の栽培と葡萄酒醸造法を学び、明治3年に葡萄苗とこの木の苗木をみやげとして帰国した。
当初東京谷中清水町に果樹園(選種園)を創設し、この苗もそこに植え付けられたが、都市化が進み果樹園の拡張が困難となったため、妙義のこの地に適地を見いだし、20町歩の国有林の払い下げを受けた。明治24年16町歩の開墾ができ、この木もこの頃までに移植されたものと伝えられている。(昭和34年3月1日「群馬の治山」掲載記事より編集、記事の中ではマンモス杉と紹介されている。)
周辺に植林したスギが大きくなり、日照が不足したせいか、下枝が枯れ上がってしまっている。西側の杉林が伐採され明るくなった。元気を取り戻して欲しい。
道の駅みょうぎから中ノ岳神社方面に向かい2.5kmで、妙義自然休養林標示(上記地図のマークの位置)があり、駐車スペースがある。途中に「妙義アメリカショウナンボク」の看板があるが個人宅への進入路である。道路と駐車場の段差に注意。 ここから群馬県立妙義青少年自然の家に向かう山道を5分ほど下ると沢を渡る橋があり、左側に現れる。