板倉勝明(1809~1857)が編集した安中志の熊野神社の項に大榎(欅の誤り)社地にあり、中うろして近郷に珍しき大木なり」とある。
元は野後郷の鎮守であった諏訪社の御神木で、樹齢は推定1000年という。これに祈願すると疣(いぼ)がとれる霊験があるといわれた。現在は、落雷により樹身の3分の2が崩れ落ち残る3分の1が北東に傾いてしまったので鉄柱で支え補強している。
安中市教育委員会
(現地解説板より)
200年前に編集した「安中誌」に「中うろ(洞)にして近郷に珍しき大木なり」とあるという。おそらく当時の主幹は失われていると考えられるが、替わりの幹が葉を繁らせている。地際の洞も一見の価値あり。
熊野神社の起源は永禄2年(1559年)に安中越前守忠政が安中城を築城したとき、熊野三社を歓請して安中城の鬼門の守護神としたのがはじまりと云われている。
野後郷とは平安期の碓氷郡八郷の一つ
JR安中駅を目標にする。国道18号を長野方面に向かい城下の信号を左折し南へ約200m行ったところを右折して直ぐのところの熊野神社境内に位置する。