元和元年(1615)岩櫃城破却ののち、吾妻郡一帯は真田氏の統治下におかれ、新たに吾妻原を開拓して町割をつくった。これが現在の原町であり、当時すでにこの樹はうっそうとした老樹であり、この町割の基準とされ、かつ、町の鬼門除けとして畏敬されてきた。
通称、ツキノキ(槻木)と呼ばれ、地名にもなっている。
太さは日本でも指折りのもので、ケヤキ3名木の一つといわれていたが、昭和40年(1965)頃から衰弱が目立ってきた。
三叉路の中央にあり、周り中が道路で生育環境は良くない。空洞内の発根で辛うじて生命を維持している。
クローン養成した二代目が吾妻町総合グラウンドで育てられている。
国道353号線の中之条町を過ぎて草津方向に進み、四万川の橋を渡った先で「山田川」の交差点を左折、700m程で槻木の三叉路に出る。この三叉路の中央に立つのが大ケヤキである。