寛文三年から四年(1663~1664)にかけて安中藩主水野元綱、元知父子の時代に領内一円を検知しなおした。この検知は慶長以来のもので厳しく行われたが、この時の検知の基準の元杭になったのがこの五郎スギだったといわれ、検知が終って、検縄、尺棒をここに埋め、記念の石祠を立てたと伝えられているので、この時既にかなりの大木であったと思われる。
(石祠には「寛文七年(1667)羊十月五料村」とある。)
落雷によって樹幹の途中から折損し、樹高は低くなったが太さは素晴らしい。
地際部が山裾のように広がり、根元周が約12mある。 根元に大きな空洞があり大人20人が入れると言われている。
現地は、ちょっと不便な場所であるが、その豪快な樹姿は苦労しても一見するだけの価値がある。
坂本宿を過ぎて、霧積温泉への道を入ってすぐに三叉路を右折し、水谷の林道終点から徒歩で1Km程進んだ尾根筋にある。