樹下に石碑があり、これを参考に由来をひもとくと、沼田氏五代上野介景繁の三男景光が名胡桃城を初めてかまえた。景光の姉、如意姫は絶世の美女で才知万人に勝れ、和歌に秀で、その才京に達し、召されて都に上り、右大臣平信宗の養女となり妥女として宮中に仕えた。帝の寵愛厚く、懐胎し長禄2年(1458)帰郷して、上津の地で皇子を産み、京洛からたずさえた桜苗を記念に植えたものと伝えられている。
根株から推測すると、かつては大木であったと思われるが、落雷により幹が裂けて形成層のみで支えられていたが、昭和57年(1982)8月の台風でついに3本のうち1本が倒れ大きさも小振りになった。
樹種については、エドヒガンとの異論がある
ヤマザクラは宮城、新潟以西の本州、四国、九州の山地に広く自生し、植栽も多い。
葉の展開と同時に淡紅色の花が咲く。
材は建築、器具、家具、楽器材に用いられる。
ソメイヨシノより開花は遅い。古くはサクラと言えばヤマザクラを指した。吉野のサクラもヤマザクラである。
寿命が長く巨木も多い。秋の紅葉も美しい。
国道17号月夜野町「上津大原」の信号を西に入ってすぐの信号を右折して500mほど進むと上津である。「村主神社の大ケヤキ」とは目と鼻の先。